うちの二匹のにゃんことママAとママBと。ちなみにママふたりはカップルです。

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気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ 最終回。

「気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その一。」はこちら
「気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その二。」はこちら
「気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その三。」はこちら


「最終回」は“最終日の作業開始~終了まで”です。


4/29~5/5の日程で行われた『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』もいよいよ最終日。

前日までに三面の田んぼの『地雷撤去』が完了したため、
この日の作業は『田んぼのあぜ道作りと水路整備班』と
四面目の田んぼの1/3をビオトープ用にするための『地雷撤去班』の二手に分かれます。

連休も終わりに近づいてきたため、この日の作業は
ちょっぴり少ない16人でスタート。

前日のぽかぽか陽気から一転して、最終日は
長袖シャツにパーカーを着てもまだ肌寒いくらいの気温です。
三寒四温という言葉が頭をよぎります。


『田んぼのあぜ道作りと水路整備班』は、かなりの力仕事。

田んぼの表面の土をスコップですくって畦を作り、踏み固めて道を作っていきます。
そして、要所要所にコンクリート板とU字ブロックで水路を整備します。

田んぼがだんだん田んぼらしい姿になってきました!

わたしたちも休憩時間中にあぜ道の踏み堅めのお手伝い。

踊っているのではありません(笑)

踊っているのでも、トイレに行きたいのを我慢しているのでもありません(笑)
この作業をきちんとしておかないと、
田んぼに水を張ったときに畦が決壊して
まわりに水が溢れてしまうので、ここはしっかりと。

前日までの作業で、かなり丁寧に『地雷撤去』をしたはずなんですが
それでもスコップで地面を掘るたびにまだまだ出てくるガラスや石ころ。
自然は手強いですね。
でも、地道な作業の積み重ねで、ここまできたふゆみずたんぼ。


しかし、ちょっとまわりを見渡してみると・・・

塩水に浸かったままの田んぼ・・・。

真ん中あたりに見える漂着した車の後ろにあるのは、池ではありません。
田んぼに塩水が溜まったままになっているんです。

このような景色がずっと拡がっています。

大谷地区だけ、気仙沼だけではないでしょう。
きっと、どこも同じような感じなのではないでしょうか。


小野寺さんに、これらの田んぼがこれからどうなるのか聞いてみました。

農地としてはもう使われないかもしれない
田んぼを放棄する人の方が多いんじゃないか

そう言っていました。


農業や漁業など、第一次産業に携わる人たちの高齢化が言われて久しいなか、
この惨状を目の前にしたら、それもやむを得ないのかもしれません。

でも、近くの田んぼで、一人黙々と鍬をふるうおじいさんがいました。

自身も農作業の帰りとおぼしいおじさんに
ふゆみずたんぼの作業を指して、何やってるの?と聞かれたこともありました。
作業の内容を説明したら、興味ありそうな感じで「ふぅ~ん」との答え。

結局、やっぱり最後は「ひとの力」なんですよね。
ふゆみずたんぼの作業に関わって、そのことを思い知らされました。


そんなことを思っているうちに、着々と形になっていくふゆみずたんぼ。

ここは、じつは棚田になっているんですね。

水路から一ヶ所水を引き入れるだけで、それが三面の田んぼを満たし、
隣の四面目のビオトープをも潤します。
なんて無駄がなく、そして美しいシステム!
棚田というものを考えた先人の知恵には敬服するばかりです。


さてさて、わたしたち女性チームはビオトープ用のエリアの『地雷撤去』作業です。

ここは初日に大まかな瓦礫を片付けただけということもあり、
本当に多くの瓦礫や異物が埋まっていました。

特に、ガラスの多いこと!!
掘っても掘ってもガラスが出てきます。
危険なので、気をつけながら、慎重に、でも、取り残しのないように除去していきます。

田んぼのはずなのに、まるで汐干狩をしているかのようなサラサラな砂地。
津波がどれだけ多くのものを運んできたのか、考えさせられます。

田んぼに埋まっていた瓦礫の一部。
ナマケモノ倶楽部のブログから写真をお借りしました


これらは、出てきた瓦礫の、ほんの一部です。

あっという間にバケツがこういった瓦礫でいっぱいになってしまうので
そうしたら少し離れた「瓦礫置き場」にまで捨てに行きます。

現在は瓦礫置き場ですが・・・。

「瓦礫置き場」と言っても、元は地域の福祉の拠点だったところ。
現在は完全に破壊され、その機能は失われています。

田んぼや、このセンターにうずたかく積まれた瓦礫や、
漂着した車や家屋がすべて撤去され
ここが再び福祉の拠点として稼働するのは、いつ頃でしょうか。

すごく先のこと?
それとも、案外近い将来?

もしかしたら、案外近い将来かもしれません。


そのことを思ったのは、大谷で出会った子どもたちが
とにかくみんなはつらつとして、礼儀正しく、素晴らしかったから。

テニス部のみんな。
わたしたちが作業の途中ですれ違うと口々に
「こんにちは!」
「ありがとうございます!」
と笑顔で言ってくれました。

ふゆみずたんぼを手伝ってくれた、たくさんの地元の子どもたち。
年上の子が、自然に年下の子を気遣っていて
見ていて、ああ、いいなぁ、と思いました。

読売新聞社主催の「地球にやさしい作文・活動報告コンテスト」
ふゆみずたんぼのことを書き、中学生、高校生を抑え
小学校5年生(当時)にして見事最高の賞「内閣総理大臣賞」を受賞したU君。
作文はこちらから読むことができます。
彼も今回の津波で祖父が行方不明のままです。
そのため、授賞式を辞退したと聞きました。
U君もまた、『地雷撤去』を頑張ってくれました。

こうしたたくさんの子どもたち、そしてその子どもたちを支える地域の大人、
都会ではもうほとんど見られなくなってしまったこうしたつながりが、
こういうときにはやはり“強み”になるのではないかと思います。


そうして時刻は過ぎ、夕方・・・。

整然と並んだ手押し車。美しい!!
ナマケモノ倶楽部のブログから写真をお借りしました


ついに・・・

5/5、作業が終了したあとのふゆみずたんぼ。

三面の田んぼとビオトープの復元作業が終了しました!!


今回、4/29~5/5の期間で延べ77人のボランティアが
『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』に関わったそうです。
子どもたちや学校の先生、大人たちも参加し、
総勢、なんと120名を超える人の手の力によって、ふゆみずたんぼは復元されました。

5/8には田んぼに水が張られ・・・

5/8、ついに水が張られたふゆみずたんぼ。
小野寺さんのブログから写真をお借りしました


あとは6/6の田植えを待つばかりです。

やればできるんですね。
そんな当たり前のことをしみじみと噛みしめてしまいました。


最終日となるこの日は、早めに作業を切り上げ、帰りの支度。

そう、5日の夜行バスで東京に帰らなければなりません。

たった、3日間。
だけど、密度の濃い時間でした。

でも、行ってわかったことも山ほどあります。

わたし一人が、ほんのちょっとだけお手伝いしたからって
そんなの、大きな山の、ほんの裾の裾のほうをちょこっと登ったに過ぎないこと。
でも、その一歩がこれからにつながっていくに違いないこと。

「ありがとう」

今回、たくさん言われました。

でも、わたしの方が逆に「ありがとうございました」という気持ちでいっぱいです。


気仙沼駅の待合室で夜行バスを待っている間
地元のおじさんと話す機会がありました。

「楽しかったか?」

ひととおり話したあと、そう聞かれました。

一瞬、どう答えたらいいんだろう、とオトナの考えがよぎって答えに詰まりました。

でも、バスが出る間際、おじさんにこっそり伝えました。

「本当は『楽しかった』って言ったりとかしたら不謹慎なのかもしれないけど
でも、いろんな人と会えて、話せて、わたしは楽しかったです。
また、ボランティアでも、それから観光でも、友だち連れて来ます」

おじさんは、うん、うん、と聞いてくれました。

これが、わたしの正直な気持ちです。

行ってよかった。
行けてよかった。

そして、また行こう。

ふゆみずたんぼを見に、そして、大谷の海を見に。
お手伝いも、観光もしに。


自分の中で「これからもつながっていたい人と場所」が増えた、貴重な体験でした。
本当に、本当に、どうもありがとうございました!!



これにてひとまず「気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ」
を終わります(番外編はあるかも?)。

長文、そして続き物にもかかわらず読んでくださった方に感謝します。




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| 気仙沼“ふゆみずたんぼ” | 23:58 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その三。

「気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その一。」はこちら
「気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その二。」はこちら


「その三」は“第二日目の作業開始~終了までと『仮設住宅』に思うこと”です。


5/4、気仙沼入りして二日目の朝は6時の音楽(?)と共に始まりました。

わたしたちが寝泊まりしている気仙沼の大谷地区ではどうやら
6時、12時、15時、17時、21時を音楽で知らせてくれるようです
(チャイムじゃなくてよかった・・・)。
寝坊するかも?という不安は、この音楽のおかげで吹き飛びました。


さて、ボランティアチームの一日のスケジュールは
おおまかに分けて以下の通りになっています。

6:00~6:30 起床
(その日の食事担当は朝食準備)
7:00 朝食
9:00 ミーティング後、作業開始
12:00 昼食
(食事担当は11時くらいから準備)
17:00 作業終了
18:00 夕食
(食事担当は16時くらいから準備)
夕食後は自由時間 三々五々、就寝。

だいたい9時~17時の作業時間。
そこに、午前と午後に一回ずつの休憩が入ります。
水分不足やエネルギー切れを起こすと恐いので
水やスポーツ飲料、甘いものなどを各自摂っていました。

わたしはこの日に食事担当になったのですが
その話しはあとで書くとして・・・。


朝起きると、まず外の様子をチェック。

やっぱり、夜のうちに雨が降った模様で、まだ地面が濡れています。
ただ、ありがたいことに、朝の段階では雨はやんでいました。

昨夜、3人のボランティアが帰ったのですが
それと入れ替わるかのように朝、新しく4人が到着。
こうやって日々、バトンがつながれていきます。

朝にも一回、地震がありました。

でも、みんな、それほど動揺しないのは
慣れているからなのか、覚悟しているのか??
もしかしたら目の前に、自然の威力を日々見ているからかもしれませんね。


さて、9時に小野寺さんから今日の作業説明。

今日も、田んぼの中に埋まっている異物を取り除く『地雷除去班』と
田んぼに漂着した家屋の『解体作業班』にわかれ、いざ、作業開始。

この頃にはすっかり天気も回復し、青空がまぶしい!!

ふゆみずたんぼから大谷中学校をのぞむ。
ナマケモノ倶楽部のブログから写真をお借りしました


この日は地元の人~大人や子ども~も一緒に
総勢40人ほどのメンバーでの作業となりました。

大人も子どもも、田んぼを掘る掘る。
ナマケモノ倶楽部のブログから写真をお借りしました


風もなく、少し暑いくらいの陽気で、作業もはかどります。

黙々と手を動かしていると、聞くともなしに子どもたちの会話が耳に入ってきます。

「○○ちゃんちのおばさんは?」
「まだ行方不明」
「うちのおじさんもまだ行方不明なんだよ」

さらりと交わされる、こんな会話。

まるで、なにか、たとえばノートか鉛筆を無くしたかのようにすら聞こえます。

みんな、何らかの形で係累を失っている
生と死が紙一重の中を生きている

ざらりとした、何ともいえない感情が湧いてきます。

安易な慰めや同情なんて言えないし、言いたくない。
だから、黙々と手を動かし続けました。


この日は、大勢の助っ人もあって、作業がとてもはかどった一日でした。

ハイ、チーズ☆

そして嬉しい発見も!!

田んぼの中から2匹のドジョウと、シュレーゲルアオガエルが
生きたまま、見つかったんです!!これにはみんなも大喜び。

ボランティア隊の中には“生物担当”と呼ばれていた人がおり、
貝殻や虫など、生き物を掘り当てたら、その生死に関わらず
“生物担当”先生の所に持って行くことになっていました。
記録を取るためです。

「なんか貝が出ました~」
「これはムール貝だね」
「こんなのがありました」
「かたつむりだね、これは」
以下、「ナントカ貝」「ナントカ虫」・・・“生物担当”先生、恐るべし!!

その“生物担当”先生も、ドジョウとカエルの発見には嬉しそうでした。

そして、このような状況でも、しっかり生き残っていた生物の「いのちの力」は、
大げさに言ったら「これからの希望」の象徴のようにすら感じられたのでした。


さて、ちょっと田んぼから離れて目を大谷中学校の校庭に向けると・・・

仮設住宅、建設中。

校庭の半分ほどを仕切って「仮設住宅」の建設の真っ最中。

ここに2年・・・。

伝わるでしょうか。
トタンの屋根、薄い壁。
家を失った人たちがここに2年、暮らすんですね。

仮設住宅の問題点はさまざま指摘されています。

まず、人はここに入るときと出るとき、
二度の「コミュニティの破壊」を体験しなければなりません。
いままで住み続けてきたところから切り離されるつらさ、
そしてそのことによる孤独死や自死の問題は
阪神淡路大震災のとき、すでに取り上げられていました。

また、この仮設住宅は、建てても建てても地元にお金が落ちません。
中央の大手ゼネコンが請け負い(ちなみにここは「ダ○ワハウス」でした)、
建設し、利益を回収し、2年後は壊して大量のゴミを出します。
いわゆる「震災特需」というやつですよね。


「レポ その一。」でも触れましたが
このプロジェクトに参加するきっかけとなったナマケモノ倶楽部の勉強会
「『ポスト311を創る』---気仙沼からの報告」では
相根昭典さんという建築家も話し手の一人としていました。
相根さんは中間法人天然住宅代表。
“仮設じゃない「復興住宅」プロジェクト”を推進しています。

彼曰く、こういう仮設住宅は1棟300万円程度で受注しているらしいですが、
プロの目から見ると「実際の値段は150万円程度」なんだそうです。

従来のこうした仮設住宅ではなく、
『東北の建材を使って、将来も活用できる復興住宅を
東北の人々の力で建て、雇用を作りだし、
お金を被災地域で流通させることが大切』と相根さんは言います。

そしてそのための動きが“仮設じゃない「復興住宅」プロジェクト”だとも。

ただ、そのためには多くの人の出資、つまりおカネが必要です。
天然住宅のHPの中の“仮設じゃない「復興住宅」プロジェクト”ページに
その仕組みは詳しく載っていますが、
一般から広く出資者および寄付者を集め、
住宅を建てて復興を支援するというものです。
現在すでに森林組合などと話し合い、建設候補地も決まっています。

ただし出資金は「非営利の出資」という扱いになり、無利子で、配当はありません。
被災地への継続した支援を行うために、基本的に5年間は払い戻しも行えません。

寄付と違うのは、基本的には将来戻ってくるお金の使い方だということ。

勉強会で、その復興住宅のモデル図も見せてもらいましたが
いま、わたしが住みたい!!と思うような素敵な家でした。

ちょっとの知恵とアイデアで、こういうこともできるんですよね。
いままで誰もやってこなかったのは、きっとそれが「儲からない」ことだから。

でも、一部の志ある人たちの力だけではもしかしたら限界があるかもしれない。
その意味でも“仮設じゃない「復興住宅」プロジェクト”が
もっともっと広まって、その価値が、その意義が認められることを願います。


さてさて、昼食、午後休憩も無事に終わり、順調に作業は進みます。

漂着家屋の『解体作業班』も、金鋸などで突き出た鉄骨や柱などを取り去り
ちょうど家屋の下に位置していた湧き水(ここから田んぼに水を引きます)
を開通(?)させることに成功。

『地雷除去班』も順調に田んぼをきれいにしていき、
作業開始から5日目にして三面の田んぼの地雷除去が完了!!

予想外の作業スピードにみんな大喜び!!

この分なら、最終日は予定になかった四面目の田んぼ
(写真左端に少しだけ写っています)の作業に入れるぞ、
と小野寺さんも嬉しそう。

その記念に、このとき揃っていたメンバーで記念写真を撮りました。

またまたハイ、チーズ☆

夕食は、みんなでカレー。

余談ですが、わたしとSちゃんも含め、この日の食事担当は4名。
30人以上の食事を(しかもある食材をできるだけ無駄なく使って)
素早く、なおかつおいしく作るのって大変でした~!!
お米2升なんて生まれて初めて炊きました。
サラダなんて巨大なボール二つ分作るんですよ。
でも、おいしく(ひいき目?)できてほっと一息(笑)

そしてその後は大きな作業が一段落したことをみんなでお祝いしました。

その中で、みんなそれぞれの想いを語ります。

「ボランティアが自己満足に過ぎないとわかっていても、何かせずにはいられなかった」
と言う人。
「いままでお世話になった日本に少しでも恩返しをしたくて」
とインドの人。
「作業中の子どもの会話を聞いて、何も声をかけられなかった」
と涙する人。
「親戚が福島の原発の近くに住んでいるが、東京と現地の温度差が余りに酷い」
と声を詰まらせる人。

自身も仙台で被災し、家が半壊した、という人もいました。
でも、義援金はまだ一円も届いていないんだそうです。

大手のメディアではほとんどといっていいほど報道されないものの、
被災地では行く先を悲観しての自死もすでに出ているそうです。
商店の打ち壊しなども起こっている(いた)と教えてもらいました。
でも、それは支援物資が届かないことも原因の一つだそうです。
食べるものがないから、仕方なく店のシャッターを壊すしかない。
それが現状だとしたらこれは「天災」ではなく「人災」ですよね。

彼が「復興というよりも再興がこれから必要になる」と言っていました。
その言葉が印象的だった夕べでした。


今回、老若男女、さまざまなボランティアの人と会いました。

参加したきっかけも、思いも、考えも、人それぞれ。

でも、田んぼを復興させたい!という気持ちは共通しています。
そしてその気持ちが集まれば、困難に思えたことも少しずつ前進する。
やっぱり最終的には「ひとの力」って大事なんだな、と思いました。


翌日、5/5はいよいよプロジェクト最終日です。


「気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ 最終回。」に続く・・・。



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| 気仙沼“ふゆみずたんぼ” | 20:55 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その二。

「気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その一。」はこちら

「その二」は“第一日目の作業開始~一日目終了まで”です。


5/3の午後から、いよいよわたしの
『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』お手伝いの1日目が始まりました。


ちなみに、今回の宿泊場所としてお借りした大谷中学校、
そして学校の真上にあたるふゆみずたんぼと
海岸線までの距離を地図で見るとこんな感じです。


大きな地図で見る

海まで、直線距離にしておよそ400m。

学校の2階からもこんな感じで海が臨めます。近いですね。

大谷海岸。

作業風景は、こんな感じです。

地雷除去班の作業光景。

右手に見える倒壊した建物は、津波と共に流されてきたもの。
珠算教室だったそうで、子どもの背丈よりも大きな算盤が出てきたそうです。


ひとが座っているところが、ふゆみずたんぼの場所。
板の上に座って(地面に直接座ると怪我をする恐れがあるため)、
鎌や小さな鍬で、地面を少しずつ、少しずつ掘っていきます。

すると、すぐに、がちり、と鎌の先が異物に当たる音がします。

それは、大きな石だったり、
割れたガラスだったり、
崩れた家の壁のかけらだったり、
お皿だったり、湯飲みだったり、
はたまた海辺にいたはずの貝殻だったりします。

ありとあらゆるものが埋まっている

そんな感じでした。

とにかく、子どもたちが素足で田んぼに入ったときに
怪我しそうなもの、危険がありそうなものはすべて除去。

根気のいる作業ですが、みんなで並んで、
ときに和やかに、ときに黙々と、手を動かし続けます。


今回の『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』を知って
一度塩水をかぶってしまった田んぼが甦るのか、正直疑問に思いました。

でも、昔から海辺に暮らしてきて
津波の被害もたびたび被ってきた先人たちは
“津波の後は豊作になる”ということを経験的に知っていたんだそうです。
海水が、塩分だけでなくさまざまなミネラル分をも運んできてくれるんですね。

そのため、ふゆみずたんぼを続けてきた小野寺さんも
「今年、米ができるかできないかはわからないが、とにかくやってみよう」
と決心したんだそうです。


田んぼの表面は、ところどころがまだ砂地のような状態で、
4~5cmほど掘り返してやっと土、または粘土層に当たる、といった感じ。
とにかく、異物を取りこぼさないように気をつけながら
掘って、掘って、掘り続けます。

それでも、作業開始から5日目にあたる
5/3から加わったわたしは、まだ楽な方。

最初は、田んぼの中に車が埋まり、家の梁が突き刺さり、
大きな瓦礫が散乱していたそうで、
それらを撤去するのが大変だったと聞きました。


そうこうしているうちに15時の休憩時刻に。

その前からなにやら楽器の音が聞こえてきていて
「ブラスバンド?」
「部活の練習やってるのかなぁ?」
なんて話していたんですが、違いました!

なんと、神戸からはるばるジャズバンドの応援が!!

自身も阪神淡路大震災の被災者というバンドメンバーの人が
今回の震災を知って、音楽でお手伝いできたら・・・と
駆けつけてくれたんだそうです。

なんて嬉しいサプライズ。
温かい気持ちと音色がココロに沁みます。


そして、そのあとは再び17時まで作業。

だんだん元の姿を取り戻していくふゆみずたんぼ。

下ばかり見ているから忘れそうになってしまうんだけど
ちょっと周りに目をやると・・・・・・

散乱する瓦礫。

ここも、元は田んぼでした。

流されてきた家の二階部分。

ここも、田んぼでした。

こんな光景がずっと広がっています。

これらの農地はどうなるのか・・・考えずにはいられません。
そして、自然の力の前には人間なんてあまりに小さい存在なんだとも。

でも、その小さい存在の人間が力を合わせることで
少しずつ、少しずつ復元されていくふゆみずたんぼ。

手は動かしつつも、アタマはそんなに使わなくていい(笑)ので
その分いろいろなことをたっぷり考えたところで、一日目の作業、終了。


ボランティアたちが宿泊場所として
大谷中学校をお借りしていたことは前にも書きましたが
それだけではなく、食事を作り、食べる部屋として調理室、
さらには屋外の仮設トイレなどなど
今回大谷中学校には全面的にお世話になりました。

キャンプ用品など本格的な装備がないわたしでも
お手伝いとして参加できたのには、こういう背景があります。

宿泊部屋として、二教室を使わせてもらい
一教室につき15人ほどがゴロ寝。

とはいえ、支援物資(大谷中学校は一時期避難場所として使われていたため)だった
アウトドア用マットや毛布などまで借りることができたため
当初想定していたよりはるかに快適な状況で眠ることができました。


また、調理室を使わせてもらえたことにより
温かい食事を取ることもできました。

各自が持ち寄った食料を出し合って、その日の献立を決め
みんなで同じ食卓を囲む・・・という、予想外の嬉しい展開もありました。

わたしや同行した友人のSちゃんも含め、
みな自分の食料は自分で調達するつもりで現地入りしたため
それぞれそれなりの量の、バラエティに富んだ食材を持っているんですね。
それを(出したい人は、ですが)みんな机の上にまとめるんです。
そしてそこから日々の献立を決めていく。

「同じ釜の飯を食う」じゃないですが、
みんなでちゃんとしたごはんを食べられるということが
このような状況下にあってどれだけ貴重なことか、身に染みて感じました。


とはいえ、当然お風呂なんて入れません。
作業の後の汚れた手や顔もウエットティッシュで拭きます。

水道がまだ復旧していないため
水を使うのも、貯めおきの水を最小限に、けちって、けちって。
洗い物も最小限に抑えるため、あらかじめお皿にラップをしいておきます。

トイレも、屋外の仮設トイレを使います。
使ったトイレットペーパーは、ビニール袋の中へ。
でも、習慣って恐いもので、わかっていてもつい
紙をトイレに捨てそうになっちゃうんですよね。


電気は通っていますが、当然、夜は真っ暗です。

たとえば調理室から寝る教室への移動や、
トイレに行くのにも懐中電灯は必須。
足元を照らしながらトイレに行き、
真っ暗なトイレの中で懐中電灯の光を頼りに用を足す。


こんな生活でしたが、不思議とそれほど不便は感じませんでした。

きっと、もっともっと過酷な状況下での生活を予想していったためだと思います。

むしろ、こんなに恵まれてていいんだろうか?ってくらいでした。


さて、夕食が19時くらいに終わると
基本的にもうすることはありません。

朝が早かったため、はやばやと眠くなったわたしは
みんなより一足先に寝袋の中へ。

でも、疲れているんだけど、眠いんだけど、なかなか寝つけない。

やっぱり緊張しているのかな
でも早く休まないと、明日に差し支えるし

そんなことを思っていると、突然ガタガタッ!と強い揺れ。

とっさに時計を見ると、22時36分でした。

揺れは一瞬でおさまったものの
東日本大震災の震源地の近くにいるんだ、という事実が
ぐっとリアリティを持って迫ってきた瞬間でした。

地面が揺れた恐怖よりも、たくさんの窓ガラスが一斉にガタガタ揺れた音。
そっちの方が不気味でした。

そのうちに三々五々、同室(?)のメンバーも引き上げてきて
小野寺さんの愛犬、シーズーのエル(♀・13歳♪)↓↓

みんなのアイドル犬、エル。好物はビール(!)とポテトチップス(!!)。

も一緒に、おやすみなさい。


明日、5/4は雨の予報もあったため、降らないことを祈りつつ、
そして一日目が無事に終わったことを感謝しつつ、
いつの間にか眠りについていました。


「気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その三。」に続く・・・。



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| 気仙沼“ふゆみずたんぼ” | 23:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その一。

こんにちは。ママA・ぐみです。


今日からしばらく、ママAが連休中に行ってきた
宮城県は気仙沼の田んぼの復元ボランティアの報告を中心に
ブログを更新していこうと思います。

都会では『3.11』の記憶が早くも薄れかけている今日この頃
これも現実なんだよ、という
ひとつの記録として読んでいただければ幸いです。
よろしければお付き合いくださいね。


「その一」は“ボランティアに参加するきっかけ~作業開始まで”です。


そもそも、今回なぜボランティアに行くことにしたか。

それには『ナマケモノ倶楽部』という環境系NGOが大きく関わっています。

『ナマケモノ倶楽部』の名前を知らない人も
『100万人のキャンドルナイト』を聞いたことはあるかもしれません。
そのイベントを企画したNGOです。


そのナマケモノ倶楽部で、現在開かれている
『ポスト311を創る』シリーズという勉強会があります。

そこで「『ポスト311を創る』---気仙沼からの報告」
という会に参加したことが大きなきっかけでした。


勉強会の中で『ふゆみずたんぼ』という言葉を知りました。

『ふゆみずたんぼ』・・・聞き慣れない名前ですよね。

それは、冬の間も田んぼに水を張っておき、
機械で耕すことなく、化学肥料にも頼らず、
生き物の循環で稲を育てていくという、
約400年前(!)から続く農法、農業の知恵だそうです。


気仙沼の大谷地区では、このふゆみずたんぼを
幼稚園から中学生までの環境教育の場として使ってきました。
みんなで田植えから収穫、その後の整備作業までするそうです。

しかし、今回その田んぼが3.11の地震
そしてそれに続く津波で壊滅的な被害を受けてしまいました。

4/29、プロジェクト1日目の田んぼ
ナマケモノ倶楽部のブログからお借りしました


その『ふゆみずたんぼ』を復元しよう!

そういう動きがある。ボランティアの募集もしている。

勉強会のことも教えてくれた猫先輩、Sちゃんが教えてくれました。
5/3~5/5に行く予定だけど、一緒にどう?と声をかけてくれたんです。
これは、行くしかないな、と思いました。

装備交通費その他諸々、まるっとSちゃんに出世払い(!)でお借りしていざ、出発。


前情報として、水、電気、ガスは使える
(後に水は使えなかったことが判明;;)こと、
田んぼの真ん前にある大谷中学校を宿泊場所として
使わせていただけることはわかっていましたが
それでもやはり荷造りをしてみるとずいぶんな重装備。

始発の新幹線に乗って、まず目指すは岩手県は一ノ関駅。
ここから大船渡線に乗り換えて気仙沼駅まで、かれこれ5時間ほどの旅です。


新幹線は、始発にもかかわらず、定員以上の乗車率。
装備から察して、ボランティアに行くのでは?という人もかなりいます。

福島を過ぎるあたりから、遠くの山の頂が真っ白なのが目につくように。
さらに、桜が満開。いま、やっと春が来ているんですね。
重装備の人たちも、福島あたりから三々五々、下車していきます。


仙台を過ぎたあたりから、瓦が落ちた屋根が目立つようになりました。

立派な屋根が、痛々しい姿をさらしています。

ブルーシートで覆われて、重しをした家があちらにも、こちらにも。
屋根の上に上がって作業をしている人の姿も散見されました。


一ノ関駅で大船渡線に乗り換えて
もうすぐ気仙沼駅・・・というところだったでしょうか、
一直線の虹が見えました。

一直線の虹・・・初めて見ました!

調べてみたら「水平環」という種類の虹らしいです。珍しいですよね。
このあたりも桜、そしてレンギョウが満開でした。


そうこうしているうちに、わたしとSちゃんは無事に気仙沼駅に到着!!

改札口に「冬水田んぼ ボランティア」と書いてある
段ボールを持った人が迎えに来てくれていました。

この時点で、この便で来たボランティアは私たちともう一人の男性、合わせて3名。

迎えの車に乗せてもらい、大谷中学校を目指す道すがら、
ぽつり、ぽつりと状況を話してくれます。


駅前の商店街は一見何ともないように見えるけれど
じつはほとんどが水に浸かってしまったこと。

まだ営業できていない店もたくさんあること。

気仙沼も含めた海岸線、550kmほどが壊滅状態であること。


車はどんどん進みます。

川岸に瓦礫らしきものが押し寄せているのが見えます。

酷い、と思いましたが、これはまだまだ序の口に過ぎませんでした。


海辺に近づくにつれて

倒壊した建物
外側だけ残して中身がすっかり無くなった建物
二階部分だけが残った建物

そして、瓦礫、瓦礫、また瓦礫・・・。

車が、電柱が、鉄骨が、大木が、ありとあらゆるものが
なぎ倒され、ねじり取られ、積み重なっています。

これを表す言葉なんてわたしには持ち合わせがありません。


自衛隊の車両にもたくさんすれ違いました。
きっと、どこかで復旧活動や支援活動をしている(いた)のでしょう。

商店(元・商店)は当然ながら、ほとんどが営業不能状態。
その中でも、比較的被害が少なかったり
幸運にも被害を免れたりしたお店が
ぽつり、ぽつりと営業しています。


近くに見える気仙の海。
今日は穏やかに静まりかえっているけれど
3.11にはこれが猛威をふるって多くの人や物を飲み込んだ。

水の威力、自然の力、その前には人間の作ったモノなんて無力なんですね。

わかっていたつもりでも
ニュースで見ていたつもりでも
やっぱり目の前に拡がる風景、
「百聞は一見にしかず」とはこのことを言うんだな、と感じます。


道路の両側に延々と続く建物の残骸。
その中に、ぽかっと無傷の建物群があったりします。

水の流れる向きだったのか
ほんの少しの高低差が明暗を分けたのかはわかりませんが
無残な姿の瓦礫の横の無事な建物を見るにつけ、
運命は残酷だなぁ、でも仕方ないことなんだよなぁ、と
いろいろな思いが頭の中をぐるぐる、ぐるぐる。


そんなことを思っているうちに車は無事に大谷中学校に到着。

ちょうどお昼時だったため、わたしたちもまずは調理室へ。

これから帰る人の挨拶
そしてこれから参加するわたしたちの挨拶
こうしたバトンが毎日繰り返されているんですね。


そしてここで、『ふゆみずたんぼ』発案者であり
今回の復元プロジェクトの責任者でもある
小野寺雅之さんと対面。作業の説明を受けます。

『地雷除去班』・・・津波が運んできた瓦礫を取り除く人たち。
『建物除去班』・・・津波が運んできた家から、取り除ける部分を切り取る人たち。

大まかに分けてこの二つの作業が同時進行していきます。

わたしたちは『地雷除去班』に配属(?)。

まず、身支度をします。

瓦礫の中にはガラスなど危険なものもたくさんあるため
安全長靴をはき、汚れてもいい服、そして厚手の軍手。
砂埃などを防ぐために髪の毛を覆い、
さらには有害物質が流れ着いていることも想定して、マスクを着用。

かなり怪しい格好ではありますが、
これがこれから3日間の作業服となるわけです。


畑は大谷中学校のすぐ裏手にあります。

5/3、プロジェクト5日目の田んぼ

このページ一番最初の写真と見比べてください。

はじめのが、プロジェクト初日、4/29の田んぼ。
そしてこちらが、5日目、5/3の田んぼ。

第一陣の人たちが大まかな瓦礫~車や電柱など~を
片付けてくれていたんですね。

そのことに感謝しつつ、さっそく細かな瓦礫撤去に入ります。


田んぼの中に足を踏み入れると
ぷん、と磯の匂いが鼻をつきます。

それだけでなく、独特な、潮が腐ったような匂いも。

このふゆみずたんぼがどれだけの被害を受けてしまったのか
果たして復元は可能なのか・・・思わず考えてしまいます。

でも、その前にまず身体を動かさなくちゃ!というわけで
『地雷除去班』の持ち物3点セット
・板・・・この上に自分が座る
・鎌もしくは小さな鍬・・・これで土を掘り返していく
・バケツ・・・掘り出した瓦礫をここに入れる
を手に、空いている場所を教えてもらい、よいしょ、と座って
いよいよわたしの『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』
お手伝いの1日目が始まったのでした。



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| 気仙沼“ふゆみずたんぼ” | 23:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

気仙沼から無事に帰ってきました^^

こんにちは。ママA・ぐみです。


5/3~5/5の3日間、宮城県は気仙沼に行ってきました。

津波の被害を受けた田んぼの復興のお手伝いが目的です。


こっそり心配していた体力面での問題
(ママAは超~!!インドア派なのです)もなく、

お荷物になることもなく(よかった!!)、

狭~い夜行バスで今朝、無事に帰ってきました。


詳しくは明日以降のブログに書こうと思いますが
まずは帰宅のご報告まで^^


と思ったら・・・何かしんねりした視線を感じるわ・・・。

あたしのことは書かないの?

ジジ「猫ブログなのにあたしのことは書かないの?」

あ、ジジ(^-^;)

そういうわけじゃないんだけどね。

まあまあ、今日のところは勘弁してよ。

し~らないっ!!

ジジ「ふ~んだ!!」

ちょっぴり不満なようです。


3日も会えなかったんだもんね。

その分明日はいっぱい遊びます!!



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| 気仙沼“ふゆみずたんぼ” | 22:48 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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