うちの二匹のにゃんことママAとママBと。ちなみにママふたりはカップルです。

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その一。

こんにちは。ママA・ぐみです。


今日からしばらく、ママAが連休中に行ってきた
宮城県は気仙沼の田んぼの復元ボランティアの報告を中心に
ブログを更新していこうと思います。

都会では『3.11』の記憶が早くも薄れかけている今日この頃
これも現実なんだよ、という
ひとつの記録として読んでいただければ幸いです。
よろしければお付き合いくださいね。


「その一」は“ボランティアに参加するきっかけ~作業開始まで”です。


そもそも、今回なぜボランティアに行くことにしたか。

それには『ナマケモノ倶楽部』という環境系NGOが大きく関わっています。

『ナマケモノ倶楽部』の名前を知らない人も
『100万人のキャンドルナイト』を聞いたことはあるかもしれません。
そのイベントを企画したNGOです。


そのナマケモノ倶楽部で、現在開かれている
『ポスト311を創る』シリーズという勉強会があります。

そこで「『ポスト311を創る』---気仙沼からの報告」
という会に参加したことが大きなきっかけでした。


勉強会の中で『ふゆみずたんぼ』という言葉を知りました。

『ふゆみずたんぼ』・・・聞き慣れない名前ですよね。

それは、冬の間も田んぼに水を張っておき、
機械で耕すことなく、化学肥料にも頼らず、
生き物の循環で稲を育てていくという、
約400年前(!)から続く農法、農業の知恵だそうです。


気仙沼の大谷地区では、このふゆみずたんぼを
幼稚園から中学生までの環境教育の場として使ってきました。
みんなで田植えから収穫、その後の整備作業までするそうです。

しかし、今回その田んぼが3.11の地震
そしてそれに続く津波で壊滅的な被害を受けてしまいました。

4/29、プロジェクト1日目の田んぼ
ナマケモノ倶楽部のブログからお借りしました


その『ふゆみずたんぼ』を復元しよう!

そういう動きがある。ボランティアの募集もしている。

勉強会のことも教えてくれた猫先輩、Sちゃんが教えてくれました。
5/3~5/5に行く予定だけど、一緒にどう?と声をかけてくれたんです。
これは、行くしかないな、と思いました。

装備交通費その他諸々、まるっとSちゃんに出世払い(!)でお借りしていざ、出発。


前情報として、水、電気、ガスは使える
(後に水は使えなかったことが判明;;)こと、
田んぼの真ん前にある大谷中学校を宿泊場所として
使わせていただけることはわかっていましたが
それでもやはり荷造りをしてみるとずいぶんな重装備。

始発の新幹線に乗って、まず目指すは岩手県は一ノ関駅。
ここから大船渡線に乗り換えて気仙沼駅まで、かれこれ5時間ほどの旅です。


新幹線は、始発にもかかわらず、定員以上の乗車率。
装備から察して、ボランティアに行くのでは?という人もかなりいます。

福島を過ぎるあたりから、遠くの山の頂が真っ白なのが目につくように。
さらに、桜が満開。いま、やっと春が来ているんですね。
重装備の人たちも、福島あたりから三々五々、下車していきます。


仙台を過ぎたあたりから、瓦が落ちた屋根が目立つようになりました。

立派な屋根が、痛々しい姿をさらしています。

ブルーシートで覆われて、重しをした家があちらにも、こちらにも。
屋根の上に上がって作業をしている人の姿も散見されました。


一ノ関駅で大船渡線に乗り換えて
もうすぐ気仙沼駅・・・というところだったでしょうか、
一直線の虹が見えました。

一直線の虹・・・初めて見ました!

調べてみたら「水平環」という種類の虹らしいです。珍しいですよね。
このあたりも桜、そしてレンギョウが満開でした。


そうこうしているうちに、わたしとSちゃんは無事に気仙沼駅に到着!!

改札口に「冬水田んぼ ボランティア」と書いてある
段ボールを持った人が迎えに来てくれていました。

この時点で、この便で来たボランティアは私たちともう一人の男性、合わせて3名。

迎えの車に乗せてもらい、大谷中学校を目指す道すがら、
ぽつり、ぽつりと状況を話してくれます。


駅前の商店街は一見何ともないように見えるけれど
じつはほとんどが水に浸かってしまったこと。

まだ営業できていない店もたくさんあること。

気仙沼も含めた海岸線、550kmほどが壊滅状態であること。


車はどんどん進みます。

川岸に瓦礫らしきものが押し寄せているのが見えます。

酷い、と思いましたが、これはまだまだ序の口に過ぎませんでした。


海辺に近づくにつれて

倒壊した建物
外側だけ残して中身がすっかり無くなった建物
二階部分だけが残った建物

そして、瓦礫、瓦礫、また瓦礫・・・。

車が、電柱が、鉄骨が、大木が、ありとあらゆるものが
なぎ倒され、ねじり取られ、積み重なっています。

これを表す言葉なんてわたしには持ち合わせがありません。


自衛隊の車両にもたくさんすれ違いました。
きっと、どこかで復旧活動や支援活動をしている(いた)のでしょう。

商店(元・商店)は当然ながら、ほとんどが営業不能状態。
その中でも、比較的被害が少なかったり
幸運にも被害を免れたりしたお店が
ぽつり、ぽつりと営業しています。


近くに見える気仙の海。
今日は穏やかに静まりかえっているけれど
3.11にはこれが猛威をふるって多くの人や物を飲み込んだ。

水の威力、自然の力、その前には人間の作ったモノなんて無力なんですね。

わかっていたつもりでも
ニュースで見ていたつもりでも
やっぱり目の前に拡がる風景、
「百聞は一見にしかず」とはこのことを言うんだな、と感じます。


道路の両側に延々と続く建物の残骸。
その中に、ぽかっと無傷の建物群があったりします。

水の流れる向きだったのか
ほんの少しの高低差が明暗を分けたのかはわかりませんが
無残な姿の瓦礫の横の無事な建物を見るにつけ、
運命は残酷だなぁ、でも仕方ないことなんだよなぁ、と
いろいろな思いが頭の中をぐるぐる、ぐるぐる。


そんなことを思っているうちに車は無事に大谷中学校に到着。

ちょうどお昼時だったため、わたしたちもまずは調理室へ。

これから帰る人の挨拶
そしてこれから参加するわたしたちの挨拶
こうしたバトンが毎日繰り返されているんですね。


そしてここで、『ふゆみずたんぼ』発案者であり
今回の復元プロジェクトの責任者でもある
小野寺雅之さんと対面。作業の説明を受けます。

『地雷除去班』・・・津波が運んできた瓦礫を取り除く人たち。
『建物除去班』・・・津波が運んできた家から、取り除ける部分を切り取る人たち。

大まかに分けてこの二つの作業が同時進行していきます。

わたしたちは『地雷除去班』に配属(?)。

まず、身支度をします。

瓦礫の中にはガラスなど危険なものもたくさんあるため
安全長靴をはき、汚れてもいい服、そして厚手の軍手。
砂埃などを防ぐために髪の毛を覆い、
さらには有害物質が流れ着いていることも想定して、マスクを着用。

かなり怪しい格好ではありますが、
これがこれから3日間の作業服となるわけです。


畑は大谷中学校のすぐ裏手にあります。

5/3、プロジェクト5日目の田んぼ

このページ一番最初の写真と見比べてください。

はじめのが、プロジェクト初日、4/29の田んぼ。
そしてこちらが、5日目、5/3の田んぼ。

第一陣の人たちが大まかな瓦礫~車や電柱など~を
片付けてくれていたんですね。

そのことに感謝しつつ、さっそく細かな瓦礫撤去に入ります。


田んぼの中に足を踏み入れると
ぷん、と磯の匂いが鼻をつきます。

それだけでなく、独特な、潮が腐ったような匂いも。

このふゆみずたんぼがどれだけの被害を受けてしまったのか
果たして復元は可能なのか・・・思わず考えてしまいます。

でも、その前にまず身体を動かさなくちゃ!というわけで
『地雷除去班』の持ち物3点セット
・板・・・この上に自分が座る
・鎌もしくは小さな鍬・・・これで土を掘り返していく
・バケツ・・・掘り出した瓦礫をここに入れる
を手に、空いている場所を教えてもらい、よいしょ、と座って
いよいよわたしの『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』
お手伝いの1日目が始まったのでした。



ブログランキングに参加しています↓ ↓ ↓ ↓
   にほんブログ村 猫ブログへ
よろしければクリックをお願いします

関連記事
スポンサーサイト

| 気仙沼“ふゆみずたんぼ” | 23:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://uchinonyanko.blog111.fc2.com/tb.php/109-be11df7c

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。