うちの二匹のにゃんことママAとママBと。ちなみにママふたりはカップルです。

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気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その二。

「気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その一。」はこちら

「その二」は“第一日目の作業開始~一日目終了まで”です。


5/3の午後から、いよいよわたしの
『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』お手伝いの1日目が始まりました。


ちなみに、今回の宿泊場所としてお借りした大谷中学校、
そして学校の真上にあたるふゆみずたんぼと
海岸線までの距離を地図で見るとこんな感じです。


大きな地図で見る

海まで、直線距離にしておよそ400m。

学校の2階からもこんな感じで海が臨めます。近いですね。

大谷海岸。

作業風景は、こんな感じです。

地雷除去班の作業光景。

右手に見える倒壊した建物は、津波と共に流されてきたもの。
珠算教室だったそうで、子どもの背丈よりも大きな算盤が出てきたそうです。


ひとが座っているところが、ふゆみずたんぼの場所。
板の上に座って(地面に直接座ると怪我をする恐れがあるため)、
鎌や小さな鍬で、地面を少しずつ、少しずつ掘っていきます。

すると、すぐに、がちり、と鎌の先が異物に当たる音がします。

それは、大きな石だったり、
割れたガラスだったり、
崩れた家の壁のかけらだったり、
お皿だったり、湯飲みだったり、
はたまた海辺にいたはずの貝殻だったりします。

ありとあらゆるものが埋まっている

そんな感じでした。

とにかく、子どもたちが素足で田んぼに入ったときに
怪我しそうなもの、危険がありそうなものはすべて除去。

根気のいる作業ですが、みんなで並んで、
ときに和やかに、ときに黙々と、手を動かし続けます。


今回の『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』を知って
一度塩水をかぶってしまった田んぼが甦るのか、正直疑問に思いました。

でも、昔から海辺に暮らしてきて
津波の被害もたびたび被ってきた先人たちは
“津波の後は豊作になる”ということを経験的に知っていたんだそうです。
海水が、塩分だけでなくさまざまなミネラル分をも運んできてくれるんですね。

そのため、ふゆみずたんぼを続けてきた小野寺さんも
「今年、米ができるかできないかはわからないが、とにかくやってみよう」
と決心したんだそうです。


田んぼの表面は、ところどころがまだ砂地のような状態で、
4~5cmほど掘り返してやっと土、または粘土層に当たる、といった感じ。
とにかく、異物を取りこぼさないように気をつけながら
掘って、掘って、掘り続けます。

それでも、作業開始から5日目にあたる
5/3から加わったわたしは、まだ楽な方。

最初は、田んぼの中に車が埋まり、家の梁が突き刺さり、
大きな瓦礫が散乱していたそうで、
それらを撤去するのが大変だったと聞きました。


そうこうしているうちに15時の休憩時刻に。

その前からなにやら楽器の音が聞こえてきていて
「ブラスバンド?」
「部活の練習やってるのかなぁ?」
なんて話していたんですが、違いました!

なんと、神戸からはるばるジャズバンドの応援が!!

自身も阪神淡路大震災の被災者というバンドメンバーの人が
今回の震災を知って、音楽でお手伝いできたら・・・と
駆けつけてくれたんだそうです。

なんて嬉しいサプライズ。
温かい気持ちと音色がココロに沁みます。


そして、そのあとは再び17時まで作業。

だんだん元の姿を取り戻していくふゆみずたんぼ。

下ばかり見ているから忘れそうになってしまうんだけど
ちょっと周りに目をやると・・・・・・

散乱する瓦礫。

ここも、元は田んぼでした。

流されてきた家の二階部分。

ここも、田んぼでした。

こんな光景がずっと広がっています。

これらの農地はどうなるのか・・・考えずにはいられません。
そして、自然の力の前には人間なんてあまりに小さい存在なんだとも。

でも、その小さい存在の人間が力を合わせることで
少しずつ、少しずつ復元されていくふゆみずたんぼ。

手は動かしつつも、アタマはそんなに使わなくていい(笑)ので
その分いろいろなことをたっぷり考えたところで、一日目の作業、終了。


ボランティアたちが宿泊場所として
大谷中学校をお借りしていたことは前にも書きましたが
それだけではなく、食事を作り、食べる部屋として調理室、
さらには屋外の仮設トイレなどなど
今回大谷中学校には全面的にお世話になりました。

キャンプ用品など本格的な装備がないわたしでも
お手伝いとして参加できたのには、こういう背景があります。

宿泊部屋として、二教室を使わせてもらい
一教室につき15人ほどがゴロ寝。

とはいえ、支援物資(大谷中学校は一時期避難場所として使われていたため)だった
アウトドア用マットや毛布などまで借りることができたため
当初想定していたよりはるかに快適な状況で眠ることができました。


また、調理室を使わせてもらえたことにより
温かい食事を取ることもできました。

各自が持ち寄った食料を出し合って、その日の献立を決め
みんなで同じ食卓を囲む・・・という、予想外の嬉しい展開もありました。

わたしや同行した友人のSちゃんも含め、
みな自分の食料は自分で調達するつもりで現地入りしたため
それぞれそれなりの量の、バラエティに富んだ食材を持っているんですね。
それを(出したい人は、ですが)みんな机の上にまとめるんです。
そしてそこから日々の献立を決めていく。

「同じ釜の飯を食う」じゃないですが、
みんなでちゃんとしたごはんを食べられるということが
このような状況下にあってどれだけ貴重なことか、身に染みて感じました。


とはいえ、当然お風呂なんて入れません。
作業の後の汚れた手や顔もウエットティッシュで拭きます。

水道がまだ復旧していないため
水を使うのも、貯めおきの水を最小限に、けちって、けちって。
洗い物も最小限に抑えるため、あらかじめお皿にラップをしいておきます。

トイレも、屋外の仮設トイレを使います。
使ったトイレットペーパーは、ビニール袋の中へ。
でも、習慣って恐いもので、わかっていてもつい
紙をトイレに捨てそうになっちゃうんですよね。


電気は通っていますが、当然、夜は真っ暗です。

たとえば調理室から寝る教室への移動や、
トイレに行くのにも懐中電灯は必須。
足元を照らしながらトイレに行き、
真っ暗なトイレの中で懐中電灯の光を頼りに用を足す。


こんな生活でしたが、不思議とそれほど不便は感じませんでした。

きっと、もっともっと過酷な状況下での生活を予想していったためだと思います。

むしろ、こんなに恵まれてていいんだろうか?ってくらいでした。


さて、夕食が19時くらいに終わると
基本的にもうすることはありません。

朝が早かったため、はやばやと眠くなったわたしは
みんなより一足先に寝袋の中へ。

でも、疲れているんだけど、眠いんだけど、なかなか寝つけない。

やっぱり緊張しているのかな
でも早く休まないと、明日に差し支えるし

そんなことを思っていると、突然ガタガタッ!と強い揺れ。

とっさに時計を見ると、22時36分でした。

揺れは一瞬でおさまったものの
東日本大震災の震源地の近くにいるんだ、という事実が
ぐっとリアリティを持って迫ってきた瞬間でした。

地面が揺れた恐怖よりも、たくさんの窓ガラスが一斉にガタガタ揺れた音。
そっちの方が不気味でした。

そのうちに三々五々、同室(?)のメンバーも引き上げてきて
小野寺さんの愛犬、シーズーのエル(♀・13歳♪)↓↓

みんなのアイドル犬、エル。好物はビール(!)とポテトチップス(!!)。

も一緒に、おやすみなさい。


明日、5/4は雨の予報もあったため、降らないことを祈りつつ、
そして一日目が無事に終わったことを感謝しつつ、
いつの間にか眠りについていました。


「気仙沼『ふゆみずたんぼ復元プロジェクト』レポ その三。」に続く・・・。



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| 気仙沼“ふゆみずたんぼ” | 23:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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